学者の話がつまらない理由

学者の話は、大体つまらない。大学に行った人なら分かると思うが、講義で話している教授の話というのは大体つまらない。
その理由として、興味の対照が一般市民とは違うから、すごく一分野に特化しているから、ということがよくいわれる。
しかし、僕は、話はそれほど単純ではないと思う。
 
そこで、本稿では、学者の話がつまらない理由を、「順を追って」解説する。
 
まず、学者の仕事というのは、現在存在するデータや知見(=論文、研究結果、エビデンス)を集めて、
それをまとめたり、データを集めて新しい知見を作り出したりすることである。
(学者として認められる知見を作るには、「差」を出すことが大事なのだが、これに関しては他稿にゆずるとしよう。)
その際、学者は大量の文献を頭に入れる必要がある。つまり、学者の頭の中には、大量の知識・情報が入っているのだ。
 
ポイント①学者の頭の中には、大量の知識・情報が入っている
 
たくさんの知識が詰まってるがゆえに、その中で、聴衆が「聞きたい」事柄を選んで話すというのは相当難しい。
芸人や噺家は、素人が面白くないと思う話でも、面白く話すことができる。
逆に、芸人や噺家の「すべらない話」をそのままコピーしても、友人の前で全くウケを取れなかったという経験が、
皆さんの中にも少なからずあるのではないだろうか。
自分の中で伝えたいストーリーがあったとしても、それを適切に相手に伝えるというのは、実は相当に難しい。
 
ポイント②ストーリーを適切に(感情も交えて)相手に伝えるのは、相当難しい
 
さて、ここで、話し手が、僕ら一般市民ではなく学者の場合を考えてみよう。
さきほど、学者の頭の中には、大量の知識・情報がつまっていると述べた。
学者が仮に、「起承転結」の話をしようと思う場合、
持っている知識が多いために、もう、起承転結の起の部分で、話すパターンが100パターンくらいあるわけだ。
(一般市民だったらせめて10パターンくらいだというのに。)そうすると、その起承転結が聴衆のニーズに「カチッとはまる」
確率というのは、相当低くなる。
言い換えれば、もともとの知識が多い分、その中で適切な知識を選んできて組み立てるということの難易度が一般市民よりも高くなるわけだ。
 
ポイント③頭の中に大量の情報があればあるほど、その中から適切なものを選んで組み立てる難易度が高い
 
そういうわけで、学者の話は「面白みがなく」聞こえる。聴衆のニーズに合わせきれてない部分が多いからだ。
もちろん、講演などとてもお上手な学者の先生もいる。しかし、それは少数派だ。
では、私達一般市民は、学者の先生の話を面白く聞くことはできないのであろうか?
私はそうは思わない。
 
対談、つまり、インタビューの形にするのだ。
つまり、情報を(無論発信者の意向に沿った形で)切り取って、受け手にわかりやすい形に変える。
それは、現代社会でいえばメディアの仕事だ。
メディアはメディアで大変だと思うが、是非、有益な研究結果を一般市民に広く伝え、国民生活(=経済)に貢献できるように
頑張ってほしいと思う。
 
大学の講義に関しては、大学院生などとの対談という形にすればよい。
そこまでいかなくても、スライドをQ&A方式にするのもよい。そうすれば、必ずや学者の発信能力というのも上がってくるだろう。
 
さて、ここまで「なぜ学者の話はつまらないのか?」について述べてきたが、お分かりいただけただろうか。
対談の存在意義、情報を切り取るメディアの存在意義も、同時にわかっていただければ幸甚である。
 
令和の研修医