映画レビュー「孤高のメス」

彼のメスは、孤高なんだ。





ここでは極力ネタバレはしませんが、研修医で外科をローテする子や、
これから後期研修で外科を目指す人には是非観てほしい映画です。


孤高のメスについて4つのトピックスを解説します。


①心に残ったシーン
「医師で居続けることは、医師になることの何十倍も難しいんだよ」
その通りだと思いました。
もちろん、続けることが始めることよりも難しいのは自明です。
しかし、医師をやっていると、「自分は医師を続ける資格があるのか?」という問題に
幾度となく遭遇し、苦しみます。


②主人公当麻先生のメスは孤高ではありますが、それは決して彼の独壇場、スタンドプレーというわけではありません。
むしろ手術場のチームワークをものすごく重視します。
手術場で都はるみをかけてよいか?を多数決する場面などは象徴的といえるでしょう。


③最後に、脳死という概念について、少し解説します。
脳死は、臓器移植ありきで生まれた死の概念です。
臓器移植を行う側としては、
「現在刹那的に呼吸と循環が保たれていて臓器が生きているけれども、
放っておいたら呼吸や循環のサポートありでも短期間のうちになくなってしまう」
という「予後予測のための診断」が必要です。
この診断名を脳死といいます。


いわゆる植物状態では、大脳だけが死んでいて脳幹は生きているため
意識状態は昏睡でも生き続けることは可能です。その際人工呼吸は必要でないことと必要なことがあります。


では脳死とは?どのような状態でしょうか?脳ヘルニアがひどく、昏睡で、瞳孔も開いている状態では、
脳幹は死につつあります。しばらくは生き続けられるかもしれません。
しかし、この脳の状態はいずれ呼吸にも影響を及ぼします。たとえ人工呼吸を行ったとしても、
十分な呼吸は難しくなります。
呼吸の影響は循環におよび、救急のABCDすべてがダメに(生体としての機能を保てなく)なります。
そうするとしまいに臓器機能も廃絶し、移植はできなくなります。こうなると、脳死ではなく
死亡です。


だからこそ、脳死状態のドナーから臓器を取り出すことが許容されるわけです。
バイタルがとれる患者のバイタルをとれなくするのですから殺人に見えなくもありませんが、
どのみち死亡し臓器機能が廃絶する脳死患者だからこそ正当化されるというわけです。


④医師として、当麻先生に見習いたいところ
・手術記録は病院が変わってもいつでも取り出せるように、ファイリングしておこう。
いまからはじめよう。
・耐えて、耐えて、耐えて、地道に。
・目の前の患者を救う。それが外科医にとって一番重要なこと。


令和の研修医